2018-08-22

イクメン?なにそれ?おいしいの?

皆さん、こんにちは。
ネットワークデザイン部の高橋です。
前回の「育児休業始めました」のブログから、今回はちょっと挑発的なタイトルで炎上しないかビクビクしながら綴っております。
まず、巷では「イクメン」という言葉が広まってますが、今回は「イクメン」について考えてみたいと思います。
イクメンとは?

「子育てする男性(メンズ)」の略語。積極的に育児に参加する男性を指す。

私自身は、育児には積極的に参加してます。
家事します。料理できます。裁縫できます。掃除します・・・が、自分をイクメンだと認識したことは一度もありません。
また、「イクメン」だと思われたいとも思ったことはありません。
私のことを「イクメン」だねと言ってくれることには何も思いません。
「あ、そうですかね。」と思うだけです。
社会的には「イクメン」のレッテルが貼られていると感じると共に違和感も感じています。
一番、恐れていることは、これから父親になる人達へ日本独特の同調圧力がジワジワを襲いかかることです。
国が父親の子育てを支援する時代にすることを掲げたプロジェクト「イクメンプロジェクト」。
社会の変化、環境の変化に合わせて制度を設けたり整備することは重要なことだと思いますが・・・

男性漂流 - 男たちは何におびえているか -

イクメンと呼ばれたいから、育児に協力することは不純な動機のような気がするし、以前読んだことのあるノンフィクション本「男性漂流」の中にイクメンに関する内容のものがあり非常に考えさせられました。
一部紹介
第二章 育児がこわい

男性が子育てに積極的に関わることは、女性の出産後の就労継続率を高め、少子化対策につながるという見解にも、確かに一理ある。
だが、一方で、実際に存在するのはごく少数にもかかわらず、「イクメン」が脚光を浴びれば浴びるほど、それが男たちにとって精神的圧迫となり、自らを追い詰めているケースが少なくないのである。


特に、中年期に差しかかると、仕事でも妻との関係でも抱える問題が増えるだけに、その苦悩は深い。職場の問題にもだえ苦しんだ末に不本意に育児へ走った”仮面イクメン”、また我が子との時間に全力を注いだ挙げ句、悲惨な事件を起こしてしまった者もいる。男たちはなぜ、そこまで窮地に陥ってしまったのか。

男性漂流に登場するイクメンとしてインタビューに答えていた男性は、自分が”仮面イクメン”であることを告白する。
なぜ、この男性はイクメンを自分の逃げ場として捉え、イクメンを演じていたと告白し、なぜそのような行動に走ったのは心情が綴られています。
男性漂流に登場する男性のケースは、特殊なケースのように見受けらるかもしれませんが、問題の本質部分については現代社会で起きている問題と共通している部分があるのではないかと思います。

同意はあるか

男性の育児参加については、家庭内で子育て・育児に関して各々の同意がないから同調圧力により男性にも積極的に育児に参加させようという魂胆があるのではないかと思っています。
極端な話、「家庭のことは私に任せて!あなたは仕事で稼いできて!」と各々の役割に同意があれば父親は育児に参加しなくてもいいのと思うのですよ。
夫婦間でお互いの役割について同意がないから溝が生まれるのではないでしょうか?
話し合おうとすると、話し合いにならない等あるでしょう。
だから、メディアから発信される「イクメン」を武器に啓発させようとしてしまうのかもしれませんね。

キーは健全な話し合い

後は、健全な話し合いができるかどうかが解決の鍵のようにも感じます。
話し合いのはずが、いかに自分の意見を押し通そうとしてませんか?
如何に相手の意見に対して反駁させようと考えてませんか?
17世紀のオランダの哲学者のバルーフ・デ・スピノザの「自由意志」にヒントがあります。
「自由意志」とは、「自分の意志でもって、自分の行動を何とかしようとコントロールできる意志」のことを意味しますが、多くの人は「なんであの人は優しい言い方でいえないのだろう」とか「なんであんな行動をとるのだろう」などと考えてしまうわけですが。
スピノザはだれも、自分で自分を変えることはできない。といっています。
つまり、「自由意志」はないと。
これらの言動や行動というのは、全ては彼、彼女を生んだ家族や育った環境や背景や入社後の経歴その他、彼彼女を取り巻く世界によって決まっていると言います。
では、どうすればいいのか?
「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する。」ことだそうです。

弁証法

19世紀のドイツの哲学者、ゲオルク・W・F・ヘーゲルは「弁証法」という知的な武器を考えました。
ヘーゲルの弁証法は、ひとりひとりの自分が、近くにいる他人とお互いに承認しあうことによって、社会のちいさな単位ができると説明します。
弁証法には3つの段階があります。
1つめ「テーゼ」(正の段階)
これは、自分の立場から自己中心的にしかものごとを見ることができない段階こと。
2つめ「アンチテーゼ」(反の段階)
これは、自分とは異なった他者の考えが対立し、自分とは違ったものの見かたや考え方があることに気づく段階。
3つめ「ジンテーゼ」(合の段階)
最期に、自分と他人の立場を突き合わせ、擦り合わせることで、対立を解消していく段階。
なんか、魔法のような段階名ですよね。
コミュニケーションによるすり合わせの努力によって、最後はハッピーエンドになるのです。反の段階で、両者に軋轢が生まれようが、摩擦が強ければ強いほど、次の総合ステップが素晴らしいまとまりになるというわけです。

結論

友達であれ、職場であれ、同意って大事。
同意が難しい場合は、弁証法で摩擦をおこして、ハッピーエンド。
おわり。